[ 自由・文芸 ]

 中上健次の巨大な可能性

飛弾五郎 .

『地の果て 至上の時』について


1

『熊野集』の最後に収められた「鴉」(群像1982・4月号)にこうある。

〈私は路地の山と住宅の撤去、新築に反対だった。というのは何十年もかかっておこなわれている詐欺があると見たからだった。歴史とは皮肉なもの。大逆事件の大石誠之助の甥にあたる玉置某が路地に異様に関心を持っていて、表面上親切で、だから路地の者らはなにがしかの金がいるとなるとすぐ玉置に走った。玉置は金を貸し代わりに白紙に判をおさせた。調べると一部の者は土地を担保にすると書いてあったと言うが、それが形だけのものだと言われ、路地の土地など取りあげても役にたつはずがないと印を押したという。玉置は丁度二十四年前に古い家々を撤去させ市に土地を貸すという形で市営住宅を建てた。その時、土地が登記上玉置の物になっていたものだから、路地の者らは土地から追い払らわれるとおびえたが、玉置と市が説明会を開いて言うには、二十五年後は払い下げ、建物は自分のものだと言ったのだった。二十五年とは年が明けた今年の事だ。入相のオチエノオバは土地は玉置にペテンにかかって登記を移されていたが地代を払い続けたし建物は自分のものだが、それも取り壊しにあったと言った。新しい白亜の住宅に安い家賃で入れたが、法律的には借地権が棚上げされたままなのだ。その路地のさながら白人にだまされたインディアンと同じような話しに反対して老婆らの先頭に立って意見を代弁しようと言う青年は路地の中には誰もなかった。他所に住む私一人が、けしからんと息まくだけだ。〉

(注)この引用は、読みやすさを考慮して、カタカナとひらがなを入れ替えてあります。

 このテーマは『熊野集』が、傑作短編集『化粧』の流れを継いで「不死」「桜川」「蝶鳥」「女郎」と辿った末に「海神」に至って到達した大きなテーマだった。これまでの主題〈死・自殺は私のどの小説にもかくされてあるテーマのようにある。〉(「鴉」)は、これらの短編を経て、後にもう一つの代表作ともいうべき『火まつり』を生んだが、このテーマはついに『地の果て 至上の時』を生んだ。『化粧』があの『枯木灘』へと至ったように。
 この堂々たる作品はまだ評価が定まっていない観があるが、とんでもないことである。私には、主題を見損なっているのがその原因であろうとしか思えない。この作品は真っ向から資本主義と取り組んだ野心作なのである。世界文学史上、中上が唯一評価したW.フォークナー、彼の「スノープス三部作」のみがこれに匹敵する作品であろう。
 『岬』『枯木灘』と進化し続けた浜村龍造の源泉が『アブサロム・アブサロム』のトマス・サトペンであるとは柄谷行人の指摘したところであった。しかし、『地の果て 至上の時』の龍造は、フレム・スノープスをも貪欲に消化している。勉強家の中上が全てを食い尽くさなかった筈はないのである。資本家の見事なモデル、本源的蓄積から産業資本主義の原形である商人資本主義の確立迄を体現する不能の主人公。フォークナーが別々の作品を通じて表現したサトペンとスノープスだったが、両者を貫いている原理を、中上は見事に同一人物に創造して我々の目前に出現させた。『枯木灘』はこの国に出現した抜群の傑作であったが、『地の果て 至上の時』は世界文学史上に屹立する作品なのである。


2

 中上は単行本『地の果て 至上の時』に付録として挟みこまれた小島信夫との対談において、フォークナーを次のように批評している。〈彼は一作ごとに視点を変えているけれども、それは前の作品で足りなかったところを補い、つけ加えるという以上の意味を持っていない。いいかえると、フォークナーの連作は、すべてが同一平面上に並んでいます。〉また、先行する自作を振り返ってこうも批判している。〈『枯木灘』や『鳳仙花』を書きながら、これでは歴史も切れないし、国家も切れない、まして、今ここにこうしてある現在を考えられないと思い続けてきました。〉しかし、この作を書き上げて〈今初めて、本当に小説を書いたという気がしている〉と述べた。すなわち、この作において、〈今ここにこうしてある現在〉を解明し得たことの自信を語っているのである。
 『地の果て 至上の時』にあっては作中人物の誰もが特権的たりえない。秋幸はもとより浜村龍造さえもが不安に満ちている。〈今ここにこうしてある現在〉、誰もがそのような条件を越えられないように。すなわち、全ての人物は事前の状態において捉えられ、一瞬先は闇、の跳躍を余儀なくされているのである。噂が渦巻き、人は思い付きを語る。考える事としゃべる事の、そうしてさらにはそれらと行為との間には、いかなる必然性も見い出しえない。『資本論』において「価値形態」を分析したマルクスが鋭く指摘したように、人は「意識しないがそう行う」ことによって、事後的に「価値」を、また「意味」を見出していくのである。
 先行する諸矛盾の代表者としてある浜村龍造とそれを乗り越えようとする秋幸のやり取りは決して透明ではない。腹違いの兄弟や龍造の朋輩、そしてその息子、さらには死者までがその関係を媒介しており直線的に読み解くのは困難である。その様子は〈今ここにこうしてある現在〉に驚くほど近似しているといえよう。
 この作品の巨大な謎は作者が全く説明を拒否したと見える、最終章に簡潔に描かれた浜村龍造の自殺であるが、真の山場はその直前の驚くべき一日、昼間の猪狩りの場面とそれに続く夜の鉄男のヨシ兄射殺の場面であろう。この場面の後に警察での事情聴取を済ませ深夜事務所に戻った秋幸は龍造の不審な行動を目撃し言葉を交わすが何事も意識しない。しかし早朝からの仕事に備え眠ることはかなわないが、水を浴び体をふいて着替えをしようと戻った有馬の小屋で〈頭の中にそれまで思いもしなかったような問答が生起して〉いたのを見出す。〈人生は尊いのか。〉〈草木は人を許すのか。〉
 この唐突に出現したと見える普遍的な問いは、すでに諸矛盾の代表としてあった浜村龍造が死んでしまった後にのみ意味をもつ問いであろう。秋幸は意識しないがすでに龍造の自殺後にいるのである。
 直後に続く龍造の自殺を目撃する場面にはこの奇妙な有り様が周到に描かれている。秋幸は全く意識してはいないが、すでに龍造が自殺する事を知っているのである。秋幸はまっすぐ「現場」へ向かう。

〈その日はだが違った。普段より早く有馬を出発したから秋幸が着いたのは日の満ちる陸地ではなく、まだ夜の悪気の漂っている土地だった。ヨシ兄の手術がどうなったのか、回復しはじめたのか秋幸は気にかけた、だが直接病院へ行きもしなかったし、浜村龍造が病院につめていると思っていたのに電話も掛けなかった。普段、事務所に顔を出すが、その日秋幸はそれもしなかった。
秋幸は車を高台の下の道路に止め、浜村龍造の家の玄関まで歩いた。〉

 薄明の中で、秋幸の到着を待って首吊りの準備を始めた龍造を見出す。その準備が整ったところで秋幸は意識する。

〈その時、初めて秋幸は影がそこにたたずんでいる意味も、立った物音の意味も分かった。息が一瞬詰り、体が疑いと驚きで裂ける気がしたが、秋幸にはそれがまた、有馬の小屋を早く出た時から察知していた自明のことだったような気がした。声を掛けようと思わなかった。その影に向かって呼びかけるどんな言葉も胸にあったが、声を掛けたくないという不分明な気持ちのまま、ただ見た。〉

 「自殺後」を体験した後に直面する龍造の自殺に秋幸は次のように混乱する。

〈影は秋幸に向かい合うように立った。影は動いた。音が立った。影の背丈は闇の中で倍に伸びたように見えた。影は深い息をしながら動かなかった。すっかり白み、あけた朝の外からの明りで影には応接間に立った仕事着姿の秋幸が見えているはずだった。秋幸はそう思い混乱した。声を掛けたくないし、声を掛けてはならない、いや、止めさせなくてはならない、自分がいるここに引きとどめなくてはならない、と錯綜し、自分は一体、その影の何なのか、その影は自分の何なのか?と思った。一瞬、声が出た。秋幸は叫んだ。その声が出たのと、影がのびあがり宙に浮いたように激しく揺れ、椅子が音を立てて倒れたのが同時だった。「違う」秋幸は一つの言葉しか知らないように叫んだ。〉

 このようにして浜村龍造は自殺した。しかし、すでに秋幸には何の変化も生じようがなかったのだ。

〈応接間からの薄明かりで宙に浮いた影がゆれていた。秋幸はただ見ていた。立っている体に力が入り、硬直していた。影が静まり切って、秋幸は振り返った。日の当たった山に人夫を連れて出発する時間だと思った。〉

 一切は前夜までに起こっていた。あの驚くべき猪狩の場面とそれに続くもう一つの父親殺し、〈ヨシ兄と浜村龍造が摩り替わり、どこかで鉄男と秋幸の役割が摩り替わった〉父親殺しの際に。


3

 マルクスが、人々は「それを意識していないが、しかしそう行うのである。」と述べたのは「人々が彼らの労働諸生産物を諸価値として相互に関連させる」パラドキシカルなやり方に関してであった。「彼らは、彼らの相異なる種類の諸生産物を交換において諸価値として相互に等置することにより、彼らの相異なる諸労働を人間的労働として相互に等置する。」同等の労働が費やされていると見なされるから相異なる生産物が等価だと交換されるのではない。逆である。人々はまず交換するのである。その結果、同等の労働が費やされていたと見なすようになる。すなわち「彼らの相異なる諸労働を人間的労働として相互に等置する。」
 ところで、猪狩りの場面に見られたのは驚くべき等置の試みであった。龍造が秋幸に交換を申し出たのは自らの命であった。秋幸が猟銃の引き金を引くことによって、この交換が成立していたなら、二人の間には共通の「意味」あるいは「価値」が生じたであろう。しかし秋幸は交換をしなかった。
 一方「摩り替わって」この交換を成し遂げてしまったヨシ兄と鉄男の間には共通の「意味」と「価値」が生じた。鉄男は意識不明のヨシ兄に「生まれてくる弟、俺が育てたるさかね」と大声で言うのである。


4

 ところで中上は、この作品において歴史と国家をどのように〈切った〉のであろうか。
 諸矛盾の代表者としてある浜村龍造の過去、すなわち暴力に満ちた資本の蓄積と冷徹な商人資本の確立過程は、驚くべき密度をもつ最終章の冒頭において暴露される。そのことは次章で書く予定であるが、歴史と国家は、この浜村龍造の背後にあって、大逆事件以来の歴史を生き抜いた、龍造の生みの親ともいうべき金貸し佐倉の創造と、路地とのかかわりを描写することによって〈切られている〉。

 驚くほど高齢の佐倉は、いまだに大逆事件は、薩長の陰謀だったと主張してやまない。
かっては、その熊野川沿いのスイカズラに覆われた洋館に、幽霊のように生息する佐倉を、フォークナーの、「アブサロム、アブサロム」においてストーリーの展開される崩れかけた洋館や、そこで語られる昔話からトマス・サトペンを浮き彫りにする手法の応用と考えて、真正面から考えることを避けていた。しかし、中上健次がただのフォークナーの模倣者であるはずがないのである。
なぜ、佐倉は、いまだに「薩長の陰謀」を云々するのか。さらには、なぜ大逆事件の紀州グループの首謀者として処刑された叔父の大石ドクトルこと誠之助らは、天皇制を侮っていたのか。大逆事件が冤罪の色彩が濃いのは事実としても、大石らが天皇制を絶対主義的君主制と見ていなかったのは間違いないようである。
 江戸時代の末期まで、政治的、経済的にほとんどゼロであった天皇が、明治維新を経て、わずか20年程の間に絶対主義的君主に変貌できたのは不可解である。幕藩体制下において大山林地主であった大石らの親の世代は、維新の不徹底な土地改革を潜り抜け、経済的には無傷であったようだ。大石は私費留学生として英国に留学し医学を学んだのであるが、その富の膨大さはちょっと想像しにくい。事件「発覚」後、大石が東京に拘留されていた時期、後に文化学院の創設者になった甥の西村伊作は、新宮からオートバイに乗って慰問に出かけたというエピソードが残っている。同時まだ日本には2〜3台しかオートバイがなかったという。少なくとももう1台は国家が所有していたようで、その知らせを聞いて、大石を奪回にきたかと考えた警察は対抗してオートバイを出し、横浜だか静岡あたりで西村を制止したという。(熊野大学で1996年に発表された研究による。)
 封建的絶対君主制すなわち織豊政権や徳川政権と近代の絶対主義的君主制である明治の天皇制には全く異なる側面がある。〈絶対主義王権においては、王が主権者であった。しかし、この王はすでに封建的な王と違っている。実際は、絶対主義王権において、王は主権者というポジションに立っただけなのだ。〉(『トランスクリティーク』第2部4−1P399)柄谷行人は、この洞察をホッブスから得ているが、ホッブスはマルクスの価値形態論を先取りしていたという風に論述している。主権者のポジション=一般的等価形態(価値形態論のV)である、すなわちホッブスは、経済関係の類推で主権を考えている、と。

〈古典経済学者によって重金主義が幻想として否定されたのと同様に、民主主義的なイデオローグによって絶対主義的王権は否定された。併し、絶対主義的王権が消えても、その場所は空位として残るのである。ブルジョア革命は、王をギロチンにかけたが、この場所を消していない。通常の状態あるいは国内的には、それは見えない。しかし例外状況、すなわち恐慌や戦争において、それが露呈するのだ。〉(P400)

 この柄谷の考察を援用すれば、明治維新期に日本がはじめて国家(=主権)を露出させたのだということが見えてくる。それは、徐々に成長したものではない。世界資本主義のシステムの中に突然投げ入れられたのだ。国家たることを初めて強制された。植民地化を免れるためには、猛スピードで資本の集中を達成し、産業資本主義化する必要があった。それは、初めて成立した、というか露出させられた国家(=主権)によって実行された。天皇はそのポジションに据えられただけなのだ。
 新宮の大山林地主であった大石らにそのことは見えていなかっただろう。幕藩体制下にあっては、むしろ中心的な位置にあった大石や佐倉たちには、明治初期のこの激動が薩長の陰謀と見えたのもうなずける。幸徳秋水らにとっても、日露戦争期の日本の対外政策は当然非難さるべき帝国主義と見えた。国家(=主権)が外に対してみせる面を見ていたわけである。しかし、彼らには、それは対内的にも作用することが見えていなかった。侮っていたのだと類推できる所以である。
 しかし、価値形態論で徹底的に分析されたように、この主権には本来根拠がない。というか、非常に奇妙なポジションなわけです。〈マルクスは、金は一般的な等価形態に置かれたがゆえに貨幣であるのに、金そのものが貨幣であると考えることを、フェティシズムとよんだ。そのとき、彼は、それを次のような比喩で語っている。≪こういった反省規定はおよそ奇妙なものである。たとえば、この人が王であるのは、ただ他の人々が彼に対して臣下として振舞うからでしかない。とこらが、彼らは逆に、彼が王だから、自分たちは臣下なのだと信じているのだ 〉(『資本論』第一巻第一編第三章注)。しかし、これは単なる比喩ではなくて、そのまま絶対主義的な王権に妥当するのである。〉(P399)
 幸徳秋水らが天皇制を侮ったのは、つまり彼らの盲目は、このことが見えていたがゆえではないだろうか。国家(=主権)の確立前を知っている者にとっては、この奇妙さが自明のことである。『地の果て 至上の時』において佐倉を描き込んだ中上もまたこの明察を得ていたはずである。 秋幸のネーミングが幸徳秋水からきているという仮説は、ここまで考えてくればむしろ作品の分析から裏付けられているように思える。中上の天皇制に対するアンビバレンツは、天皇もまたこのポジションの有する力の主体ではなく客体であると見えていたがゆえであろう。被差別部落や、大逆事件以降の新宮もまた、この力の客体となったが故に、冷や飯を食わされたのであったから。
 この奇妙さ、主権の根拠のなさを明視し続けるには強力な批評能力が必要とされたはずである。


5

 フォークナーは、自作を語った文章の中でトマス・サトペンを「一つの信念を実証してみたかった」人物、と規定している。強固な人種差別制度の下にあった南北戦争以前の南部で、山から家財道具一切を荷車に積んで、プランテーション地帯に生計を求めて下ってきた一家の一員であった少年は、父親の言いつけで農園主の屋敷へ出かけ、そこで黒人の家令に差別される。(第7章)〈彼が自分の来意を口に出さないうちに、二度と表玄関から入ってこないで裏口へまわるようにと〉言われたのだ。この時の驚愕は、少年の独白として実に丁寧に描かれている。(注1)
この時、経済上の差別構造は人種差別より根源的であることがサトペンの本性に刻み込まれた。ここから彼の、「運命から復讐を受ける」「巨人」の生涯がスタートする。
 サトペンは三カ月だけ通ったことのある学校で得たほとんど唯一の知識に基づいて、西インド諸島へ向かう。〈わしが学んだのは、どこかに西インド諸島というところがあって、貧乏人はそこへ船で出かけていって、どうやってかは知りませんが、頭と度胸さえあれば金持ちになって帰ってくるということでした〉(ハイチ?の)島に於いて、無一物からたたき上げ、ある農園の監督になり、更にはそこを、反乱した黒人奴隷たち(?)から守リ抜いたのを機に、婿入りすることによって、一度は大農園主の地位にまで上り詰めた。しかしサトペンは、長男を得たのちに妻が黒人の血を引いている事を知って直ちにそこを去る。これがサトペンの前史である。そして、ある日スペイン金貨一枚だけをもって奥深い南部のジェファスンの町に現れ、その金貨で百平方マイルの広大な土地を登記し、一旦姿を消し、次には二十人の野蛮な黒人奴隷を幌馬車に載せ、御者台にはフランス人の大工を伴って登記した土地に疾駆する姿が目撃される。サトペンは、まる二年の間休むことなく、蚊を防ぐために黒人たちと同様に全身に泥を塗りたくって屋敷の建設に打ち込むのである。しかし湿地に巨大なガランドウの屋敷を出現させた後は、それに続く三年間ピタリと活動を停止させてしまう。わずかに、領地内に同好の者たちを招いて猟を行うだけだ。
サトペンの核心には少年の「純情」があったと、ともに南軍として南北戦争を戦った唯一の親友ともよぶべきクウェンティンの祖父は語ったのだが、サトペンが成し遂げようとしたのは、確立し始めた資本主義経済構造の内部で成り上がり、黒人差別の位置を、少年の日の自分がショックを受けた時以前の状態に、すなわち最も根源的な位置に戻すことだったと言えよう。時を逆行させようとする不可能な試み。注ぎ込む精力が強大であればあるほど悲劇性は増していく。そのようなサトペンのよりどころは、男子血統の存続、であった。しかし、そのよりどころも、混血の長男を拒んだ矛盾が、ついには兄弟間の殺人を招き、残った一人も廃人になってしまう事によって無に帰してしまう。
 この、サトペンの、経済構造の内部での成り上り過程を、悲劇なしで反復し、更には一族を含む百姓たちからの収奪を通して原始的蓄積を達成し、産業資本主義の原型たる商人資本の冷徹な拡大再生産を成し遂げて見せたのが、不能者フレム・スノープスであった。
 資本の運動の核心には倒錯的な要素がある。資本家の原型は守銭奴であろうが、彼は欲望を断念することによってますます貪欲になっていく。より多く蓄えるために、出来るだけ多く売って、極力買わないよう心がける。そして蓄えた金を安全に保つため、取引からは意図的に脱落していこうとする傾向をもつ。一方資本家は資本を拡大しようとして、すべてを失う危険を賭して、安く仕入れて高く売る取引を意識的に拡大していこうとする。しかし、より多く投資するために、回収した資金は投資以外の目的には極力使用を控えようとする傾向を持つ。フォークナーがフレムスノープスを不能者として定着したのには理由があるのだ。
 浜村龍造は、一身にしてこの両名の人生を体現した。『地の果て 至上の時』で描かれた龍造はフレム・スノープス同様、商人資本の拡大再生産過程を反復しているが、しかし彼は、三人の女性を同時に孕ませた過去を持つ。フォークナーはフレム・スノープスを不能者として創造したが、龍造の暴かれた過去は、トマス・サトペンのそれに酷似したものであった。龍造もまた男子血統の存続に執着する。しかし、サトペンのそれに黒人との混血を拒むという矛盾が孕まれていたように、龍造のそれは、先祖を織田信長と戦って破れた鉄砲軍団の長、孫市までさかのぼらねばやまないという矛盾をはらむ。サトペンの矛盾が少年時に受けた深甚な体験に由来するように、龍造のそれも、少年時に乞食同然の生活をともに強いられた、祖父(有馬のジジ)と自らの悲惨な被差別体験に由来する。
 『地の果て 至上の時』の第四章は、すぐれたこの作品中にあっても、一段と圧縮された密度を誇り、なおかつ驚くべき完成度を持つが、龍造の秘密、すなわち、有馬における少年時代の、乞食同然であったと形容される祖父との酷薄な差別を被った生活が、この章の冒頭近くで語られる。サトペン少年の受けた衝撃が、丹念なモノローグで表現されたのに対して、龍造と祖父「ジジ」の長期間にわたった屈辱の体験は、いくつかのエピソードを積み重ねる事によって過不足なく定着されている。(注2)
龍造の少年時を知った秋幸はこう述懐する。

〈乞食同然の暮らしや有馬の里の者へのジジの怒りが、ペテンをやり手形パクリをやり、有馬の土地を買い占めて空地にし、路地を払って更地にする血も涙もない浜村龍造をつくったのだ〉〈浜村龍造は地表から何もかも消し去る。蜜柑の木を一本残らず抜き去る。甘い汁をあてにして率先して協力した文昭や実弘を丸めて交渉の矢面に立たせ、安い金で立ちのかせ、家を潰し、山を取って更地にする。浜村龍造は意味があってそうしたのでない。蟻が巣を作るようにただそうしたかったのだ。〉

 しかし、龍造には大きな謎が残る。その自死の理由と、それと結びつくのに違いないのだが、もう一つの謎、なぜ、核心に少年の「純情」を持つサトペンが、「不能者」のフレム・スノープスに摩り替わったのか、という理由である。『地の果て 至上の時』にこの自死の直接の理由は書かれていないと自分は思う。それは数年後に書かれた傑作『奇蹟』に描き込まれていると考えられる。『奇蹟』の前半で扱われるのは、浜村龍造において、内なるトマス・サトペンがフレム・スノープスに摩り替わる時期である。しかし、そのことは、深く隠されてある主題、すなわち〈死・自殺ハ私ノドノ小説ニモカクサレテアルてーまノヨウニアル。〉と密接な関連があるのであって、それは今回自分が探求しようとした主題ではない。
 『地の果て 至上の時』の主題は、冒頭に引用したように、〈何十年もかかって行なわれている詐欺〉すなわち〈路地のさながら白人にだまされたインディアンと同じような話〉に潜む、資本主義経済のからくりを、その形成の謎にまで遡行して解明することにある。そしてその解明こそが、何故、核心に少年の「純情」を持つサトペンが、「不能者」のフレム・スノープスに摩り替わったのかを説明するだろう。

(注1) サトペンの生涯はこの衝撃によって決定されたといってよいのであるから、フォークナーとしては当然の措置であったろう。以下に要約しながら引用してみようと思うが、少年の日の一大転機が見事に定着された名文であると考えられるので、できるだけ作品中の文章を生かしながら試みてみます。
まず〈ただちょっと考えてみる必要があるから静かな考えごとのできる場所へ行こうと思った〉少年は、お気に入りの、樫の木の倒木が籐の藪に覆い被さってできた〈ちょっとした洞穴〉まで自然に足が向いた。そして、そこに〈這い戻って倒木の根にもたれ、じっくり考えたのだ。彼にはまだよくわけがわからなかったのだ。〉〈これはなんとかしなければならない。これから先なんとか自分の納得のいくような生き方をしてゆくために、何か策を講じなければならないと思ったから、彼は考えこんでいたのだ。しかし彼は純情だったからどうしていいかわからなかった。そして自分の純情さにやっと気付いた彼は、そのことと(つまり純情さとであって、その男とでも慣習とでもない)対抗しなくてはと思った。〉
ついで、黙々と自問自答しているうちに少年に重要な洞察が訪れます。(太字は作品通り)

〈―しかしあいつを撃ち殺すことだってできる。(あの猿みたいな黒んぼをではない。黒んぼをではない、ちょうどいつかの晩、彼の父親がひっぱたたいのが実は黒んぼをではなかったように。あのとき、半開きのドアのかげから彼を見下ろしていた黒んぼもまた、つるつるして膨らんだあの陽気で大きな恐ろしい笑い声をたてている、だから彼には割る気も起こらないような風船球のひとつだった。あのとき自分でもわからないうちに、彼のなかのなにかが抜け出して―彼はその目をとじることができなかった―その風船球のなかに入りこみ、そこから外側を眺めていた。ちょうどあの自分のくつを自分ではく必要のない男、にたにたしている風船球にサトペンのような人間から防ぎ守ってもらえるような身分の男が、相手には見えないところから、ぼろ服を着て裸足のまま門前払いをくってつっ立っている少年を、まるでそんな子供など眼中にないかのごとく見つめていたように、サトペン少年は自分の父親や兄姉たちを、あの金持ちの農園主がいつも彼らを見ていたような目で見つめたのだ―なんの当てもなくこの世に排泄されてきた、鈍重で醜悪な、家畜のような生き物を見るように、しかし、この家畜のような人間どもはそのかわり畜生のように醜くあきもせずにつぎつぎと子を生んで、二倍、三倍、幾層倍にも増え、この地上にところ狭しと殖えてゆくだろうが、しかしこの種族はいつまでたってもうだつがあがらず、黒人なら自由に衣類をあてがわれるところ、白人なるがゆえに商店から高いつけで買わされた服を、つぎをあてたり仕立て直したりして着るしかなく、忘れられた名もない先祖が少年のころある家をたずねて、黒んぼに裏口へまわれといわれたとき戸口からのぞいていたあの風船球のにたにたした表情を唯一の遺産とするのだ。)―しかしあいつを射ち殺すことだってできる―彼は自分の中の相手と議論をはじめた。すると相手が―いや、そんなことしちゃだめだ。そこで初めのが、それじゃどうすればいいんだ?するとあとのが、わからない。〉

やがて彼は腹が減ってきたので家へ帰った。〈あちこち腐った粗末な丸太の壁、屋根板がなくなっても雨漏りするところに鍋やバケツを置くだけの傾いた屋根、台所に使っている差しかけの部屋、この部屋は雨の日にはぜんぜん使おうとしなかったから天気の日には煙突がないことも問題ではなく、けっこう役に立っていた。それから、彼に背を向けて庭の洗濯桶のうえにかがみこんで体を上下させながらポンプで水を汲みあげている姉―彼女は更紗の服に、紐のとれた、むきだしの踝のところがパクパクしている父親の靴をはき、牝牛のようにずんぐりした胴を見せてぶざまな格好をしながら、なんとも割の合わない仕事を畜生か馬鹿みたいに続けているのだった。しかもその仕事たるや家畜でもいやがるような徹底してひどい労苦だった〉そして家にもどるやいなや姉から薪を持ってこいとがみがみ言われたり、それを聞き流していたら帰ってきた父親に薪を取りに行かされたりとしている間にも、更には夕食中にも考え続けていたが、父親は〈使いのことには一言もふれず、そのままいつも寝る藁ふとんにごろりと横になって、両手を頭の下にしてそのまま寝込んでしまった〉ので彼もそこに横になってしまった。〈まだ恐ろしい事態にはなっていなかった〉。
しかし、横になって〈心の中で議論をつづけ、彼の中のふたりが平静におちつきはらって話し合っているのを聞いて〉いるうちに議論は発展し〈それはもう考えごとなんてものではなく、藁ぶとんに寝ていた姉にも、部屋中にアルコールのにおいをぷんぷんさせながらいびきをかいて二人の子供とベッドに寝ていた父親にも聞こえるような大声でなにやらどなっていたのだそうだ。―やつはけっしておれにそのことをいう機会を与えないんだ。それは速すぎて、考えごとというにはあまりに混乱していて、ありとある叫び声が彼に向かって一度に、まるであの黒んぼの笑い声のように彼のまわりでわきたった。―やつはおれにそのことを話す機会を与えないし、おやじはおれが話してきたかどうかとも訊かないんだから、やつはおやじがなにかいってよこしたとも知らない、だからやつに話が伝わったかどうかは問題じゃない、おやじにしたってそうだろう。おれはあの黒んぼに二度と表玄関から入ってくるなといわれるためにあそこの玄関へ行ったのだが、その話をしたところでやつのためになることをしたことにはならないし、その話をしなかったからといってやつに悪いことをしたことにもならない。どっちみちおれはやつにいいことも悪いこともできないんだ。それはまるで爆発のようだった〉〈―『もし立派なライフル銃を持っているやつらと闘うつもりなら、なによりもまず、借りるにしろ盗むにしろ作るにしろ、こっちもできるだけ立派なライフル銃を手に入れることが先決じゃないか?』そして彼はそうだといった。『しかしこれはライフル銃の問題じゃない。つまりやつらと闘うためには、やつらがやっているようなことをやつらができるようにさせているものを、こっちも手に入れなければならない。やつらと闘うには土地と黒んぼと立派な家を持つことだ。わかったかい?』そこで彼はまたそうだといった。〉サトペン少年は夜明け前に家を出て、〈爾来、彼は二度と家族の者に会わなかった。〉
(注2) 3つのエピソードと日常生活の描写を引用しておきます。〈浜村龍造は祖父とともに有馬の小屋に住んでいた。龍造は物心つくころから一人暮らしの祖父に育てられ、どこに行くにも従いて歩いた。六歳の頃、有馬の街道筋にある鍛冶屋で馬の蹄鉄を盗んだと、有馬の者らから寄ってたかって殴られた。盗んだ事は認めたが、蹄鉄を他の馬喰にでも売って金に換えようとしたのだろうと言うと、祖父は頑なに否定し、火で鋳直して手裏剣をつくるつもりだったと主張した。盗人が突飛なことを言うと嘲られた。有馬の者は祖父が人の畑から時々物を盗むのを目撃していた。時々、畳を入れ替える仕事にありつくが、耕す畑もすべて手放していたので日頃は農作業の手伝い、沼に生えるコモ刈りに出て何がしかの金を手に入れ、食をつないでいた。
二人は乞食同然の暮らしふりだった。かまどに浜から拾い集めて来た流木、乾燥した海藻をくべて火をたいた。龍造が自分の祖父をどうおもっていたのか分らない。龍造は寡黙だった。早くから自分の方から働きかけなければ、人は唇を固く結んだままか溜まった唾を吐きかけようとするだけだと知っていたようだし、決定的に疎んじられた者の常のように、十をすぎた頃からは年寄りとまだ小屋のに住んでいるのかいないのか定かでないほど人の注意を引かなかった。〉
その龍造が人々の注意を引いたのは十五の時であった。
その頃、有馬は盆の日は無礼講と決まっていたのだったが〈浜と反対側の一つある禅寺の脇の小屋から火が出た。その火はすぐ消された。その後小屋の隣の夫婦が非道い喧嘩をし、女房の方が怪我をした。その夫婦喧嘩で口きたなくののしり合うのを耳にして、人の注意を引かなかった龍造が女房の間男の相手であること、すでに十五になっている事〉が知れた。
さらに何年かたって、〈有馬の山のふもとに一軒、大きな屋敷をかまえた家の者が惨殺された〉〈有馬の里の者は、警察の訊問には固く口を閉ざしたが秘かに、龍造の祖父が稲刈りの日雇い賃で不平を男に言ったことを噂した。有馬の者は、やせて手足の長いその年寄りが田の畦をギクシャクとした不恰好な足取りで歩いていくのを見ながら嘲い、有馬に漂う亡霊の一つだと言いあってまた嘲った。男が惨殺されて、年寄りは亡霊であっても龍造は現実だと有馬の者は気づいた。〉
この祖父が死んで後、龍造の孫市に対する熱病とも見まごう偏執が始まる。それは亡霊の生きる支えになっていた熱情であったのだ。
〈教団の裏切り、手勢の者の裏切り、浜村孫市の仏の国の理想、それは亡霊を慰籍するためにつくり出した浜村龍造の熱病にすぎなかった。ジジは乞食同然の暮らしをしながら怒り、否定した。〉


6

 第四章において、龍造の原点となる、酷薄な差別を被った少年時が、エピソードの積み重ねによって見事に表現されていることは先に述べたが、これより先に、更地にされた路地の所有権が、世間に知られることなく、はるか以前に佐倉から龍造の手に移っていた事が、第三章において暴露されている。佐倉に翻弄され、窮地に追い込まれた文昭から秋幸はそのことを教えられ、佐倉にも会ってそのことを確認するのだが、山中で秋幸と対峙した龍造は、自ら切り出してそのことを認める。秋幸のよりどころであった路地を消滅させた黒幕は、佐倉の執念を引き継いだ、龍造であったのだ。この時、一度、龍造は秋幸に命を差し出していると言える。秋幸には〈股を広げ両手を脇に垂らしていかにも尊大ぶった浜村龍造が、突発的な怒りに襲われかつてそうしたように石を持ち上げ振り下ろすのを待っているように映った〉し、〈無垢だ、正しいという浜村龍造が怒りに襲われた秋幸に頭を割られる。長い間怖れていた事が現実になったように、血の吹き出る頭をおさえて悲嘆にくれるようにうめく姿は、不満と腹立ちのおさまった今でも容易に想像できた。〉しかし何事も起らない。そして龍造はこのように語るのである。

〈人間には二種類のタイプがあるんじゃよ。虫みたいに生きとる者と鳥みたいに生きとる者と〉

 秋幸は龍造の言いたい事を理解する。資本主義の謎について、このすぐれた作品には二箇所深い洞察があるが、一箇所は、山中で給料さえ受け取ることなく黙々と働き、二足三文の、何の値打ちもない雑木山を、杉や檜の山林に変えて行き、自然から資本を生み出す媒介となる六さんを描き切ったところであるが、もう一箇所はここである。世界を、資本主義経済の支配する構造に組替えていく力を、労働力商品に基く産業資本主義は持っているが、その原型となるのは商人資本主義である。異なる価値体系間から、剰余価値を得ようとする、すなわち安く買えるところで仕入れ、高く売れるところに運んで販売することにより、剰余価値を得ようとする、止むことのないこの運動は、鳥のように生きる者たちのポジションから生じ、同時にこのように生きることを当然と見なすようになる者らを生む。一方、虫のように生きて、餌食にされるしかない者らは、一つの地域、一つの価値体系の中で、このからくりを知ることもなく、もがくしかないのである。
 このことは、鳥の比喩から誤解してはならないが、空間的にのみなりたつのではない。時間的にも、このようなポジションは生じるのだ。路地がまだ何の価値もないと見える時代に、佐倉は親切を装って、白紙に判をつかせて、あるいは露骨に土地を担保にするという証文に判をおさせて、路地の人らに零細な金を貸した。路地の土地など取り上げても、ものの役にたたないと高をくくらざるをえない、「虫みたいに生きとる者」の視界しか持つことができない者らを、鳥のように見ていた。戦後付け火が頻発したのも、時間の経過とともに、路地の土地を取り上げることに価値が生じてきたためであったし、ついには経済のバブルといわれた成長期に更地にされてしまったのも、時代の変化と共に、計り知れない価値がその土地に生まれたためである。鳥のように生きるポジションを得た者は、時間の経過とともに生じるこの価値体系の差から、合法的に剰余価値を得ることができる。このからくりを知っているがゆえに、このような条件を創り出すためには、悪辣非道なことを実行するのにためらわない。「虫みたいに生きとる者」の視点しか持たない者らは、その悪辣非道のわけが理解できないゆえに、非難はするが、自らに直接災難がふりかからないかぎり、真に関心を持つことができない。「鳥みたいに生きとる者」らはそのことを見透かしているのである。


7

 龍造が「鳥みたいに生きとる者」らの仲間入りをした時期は特定できる。番頭として仕えていた佐倉に警戒されるようになり、裏切られて刑務所に入れられたが、出所してきた龍造は、心底怒って、佐倉の屋敷を襲う。この時、なだめようとした佐倉から路地の登記書類を譲り受けたのだが、以降、龍造は材木商として独立する。「鳥みたいに生きとる」者らの仲間入りをしたのである。この時、龍造はあるものを失うのだが、それは先に書いたように『奇蹟』の前半部分を待って解明される。そのことが、郁男の自死を、ひいては龍造の自殺を説明するのだが、それは今回のテーマではない。ただ、生き残った唯一の朋輩である、ヨシ兄の死が、龍造の自殺の契機であったことは述べておこう。
 ところで、路地はたびたび火付けにあうが、番頭のポジションにあった龍造が行なったのであったなら、それは無頼漢としてであり、どこの馬の骨やらと、被差別民の路地の者らから差別されたことへの復讐であった、といえる。このことは、サトペンが、黒人の血が混じった長男を決して息子と認めなかったのは、「鳥みたいに生きとる者」としてではないのと同様である。しかし、自らが路地の所有者となって以降、すなわち「鳥のように生きとる者」の仲間入りをしてからの付け火は、全く性格が異なる。それは、火付けが目的ではなかった。その結果生じる剰余価値の獲得が目的となったのである。


8

 「鳥みたいに生きとる者」らは剰余価値の獲得を目差す。空間的に存在するのみならず、時間の経過とともに発生する複数の価値体系間の差異を利用して、それを達成する。しかし、それは結果として路地の消滅を引き起こし、「虫みたいに生きとる者」らを排除することにつながる。そして、真に恐るべきことには、それが合法的とされるのである。分断されて見られる一つ一つの出来事は、その時々の経済行為と見なされる。
 当座の金に困った路地の人たちに、判を押させた白紙の紙と引き換えに零細な金を貸すこと。古い家々を撤去させ、市に土地を貸すという形で市営住宅を建てること。土地から追い払われるとおびえる人たちに、市と合同で説明会を開いて、二十五年後には払い下げ建物は自分のものだと言いくるめ、いったん安心させること。そして、バブルと呼ばれた経済の狂乱期が到来するや、路地出身の土建屋らに交渉させ、安く立ち退かせ更地にしてしまう。
 佐倉の、そしてその意志を継いだ龍造の思いは、大逆事件の折に、世話になった叔父、大石ドクトルを見捨てたことへの、あるいは、どこの馬の骨やらとあざ笑ったことに対する、路地への復讐であったろう。しかし、実際は剰余価値を追い求める、止むことのない商人資本の運動に便乗してそれを達成したに過ぎない。佐倉と龍造はそう意識してはいないがそう行ったのである。便乗することによってしか復讐することはできないのである。佐倉が一つことのように龍造に言い続けたのは「なんせから時を待て」ということであった。
 佐倉も龍造も、更地にした後は、むしろ資本の運動を停止させようとする。しかし、いつまでもそうしておくことは出来ないであろう。剰余価値を求めて止まない資本の運動を創り出したのは彼らではなく、彼らはその運動に乗じて自らの思いを達成したに過ぎないのだから。佐倉も龍造も、その運動から脱落するならば、「虫みたいに生きとる者」にならざるを得ないだろう。


9

 マルクスは『資本論』第1版の序文で次のように書いている。

〈ひょっとしたら誤解されるかもしれないから、一言しておこう。私は資本家や土地所有者の姿を決してバラ色に描いていない。そしてここで問題になっているのは、経済的カテゴリーの人格化であるかぎりでの、一定の階級関係と利害関係の担い手であるかぎりでの人間にすぎない。経済的社会構成の発展を「自然史的」過程ととらえる私の立場は、他のどの立場にもまして、個人を諸関係に責任あるものとはしない。個人は、主観的にはどれほど諸関係を超越していようと、社会的にはやはり諸関係の所産なのである。〉
これまで見てきたように、佐倉や浜村龍造は、〈主観的にはどれほど諸関係を超越していようと、社会的にはやはり諸関係の所産なのである。〉『地の果て 至上の時』はそのような認識で貫かれている。従って、浜村龍造を徹底的に認識した秋幸の闘争の対象は、個人ではなく、巻末において、こうした諸関係の構造そのものとなったのである。龍造の死後、秋幸は、腹違いの弟、友一から次ぎのように要請されるがきっぱりと拒否する。龍造の熱病のような偏執から生じた遺産の総体から、不可解な部分、すなわち、やくざ者や裏金融業者等からなる浜村衆との関係や、有馬の更地、そして路地の跡地などを切り捨て、社長として材木商に徹するよう迫られたのだが、秋幸はそれを拒否して浜村木材を去る。最後に秋幸がなしたのは、枯草に覆われた路地の跡地に火を放つことであった。この象徴的な行為は明瞭には何事も語らない。けれども、闘争の対象が一変したことを告げていると自分は読む。
晩年、中上健次が熊野大学を発足させ、「真の人間主義」を標榜して開始した運動の目的は、人間を手段として扱い、悲惨な現実を成り立たせている、こうした諸関係の構造そのものの廃棄であったろう。
トマス・サトペンとして出発した浜村龍造はフレム・スノープスと化した。しかしそれは意識してそうなったのではない。乞食同然の幼・少年期を経て腕力一つでのしあがり、街の人々のみならず、路地の人々からも「どこの馬の骨やら」とあざけられながら、「鳥みたいに生きとる者」のポジションに立った時、龍造はそうなった。しかしながらそのポジションは〈諸関係の所産〉なのである。〈主観的にはどれほど諸関係を超越していようと〉も。
このように浜村龍造を描き込んできた中上には、その構造の中で生きる限り、人間を手段として扱う、この悲惨な現実の成り立ちに対する疑いがあったはずである。なぜ、このようであって、ありえたかもしれない、よりよい状態ではないのかという疑いは、今ある現実を自明のこととして受け入れることを許さない。



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