[ 倫理的経済的 ]
 

エチコエコノミコとは社会的責任投資と信用組合としての市民通貨、それから、消費組合と、生産者組合と、多次元の社会運動の交差、それからそれから...

「かたださん」と「すずきくん」の連続投稿

 Multioperative Society

片田直樹+鈴木健太郎


はじめに
 
鈴木健太郎

 私は、5月5日に、片田直樹氏より、TCXが扱ってきた事柄についての意見を書いた私信をもらいました。私は、返信を書いているうちに、このやりとりをTCXに投稿して皆さんに読んでいただきたいと思いました。以下、まず片田氏の私信(一部)があり、次に私の応答、最後に片田氏の再応答があります。タイトルのmultioperative societyとは私の造語で、返信の終わりで協同組合cooperative societyを超える「多次元的組合」という意味で定義しました。

西暦2003年5月24日



鈴木健太郎氏への私信

片田直樹

【消費者運動】

「消費者の立場」が有効である。と、批評家の柄谷行人著『トランスクリティーク』ほかで、述べてある。つまり、生産の場面では、企業に対して限定的にしか抵抗しえない労働者も、貨幣をもつ消費の場面では、決定権をもちうるということだ。では、具体的にどのような運動を組織しうるか。ひとつは、反対する企業の製品は、買わない(ボイコット)という選択肢。しかし、それだけでいいのか。

実は、反対に「買う」という選択肢がある。すなわち、相対的に良いと評価できれば買うことで、市場に参加する企業全体を倫理的にしていこうということだ。言うなれば、叱るだけでなく、褒めて育てる。

もちろん、そうした消費者行動を、無言で、あるいは、抽象的なレベルでおこなっていては、ボイコットと同様、企業に対する影響力は少ない。

しかし、企業が努力しやすいよう、また、消費者が行動しやすいよう、具体的でメッセージ性のある規格があれば、話は違ってくる。このような規格に消費者が応じ、規格の有無で売上が左右されるようになれば、企業はその規格を得るよう努力せざるを得ないからだ。

実際、たとえば、環境規格であるISO14001が生まれてから、企業は環境保護に積極的になった。

では、このような手法をもって、企業の私的所有の性格そのものを変えていけないか。

たとえば、労働者階級を大切にする企業基準をつくって、それに基づいて、投資や消費を組織するとか‥。

実は、このような動きは投資の世界ではすでに存在している。社会的責任投資(SRI)という考えである。米国投資資産の約12%、欧州主要各国の投資信託の約1%には、SRIがなんらかの形で導入されているという(参考資料、吉田守一「社会的責任投資の動向―新たな局面を迎える企業の社会的責任―」『調査;日本投資政策銀行』40号2002年)。

その中でも注目すべきは、SA8000(http://www.cepaa.org/)という規格である。国際労働規格と呼ばれ、フェアトレードを行っているかなどの基準である。もともと、武器製造に関与している企業に投資したくないという声からはじまった運動だ。一部の途上国では、製品の輸入規制にも利用されている。

こうした規格においては、企業が公開した情報に基づいて評価がなされるだけでなく、その公開のあり方も評価の対象としている点が、興味深い。

では、日本ではどうか。このような動向に対して、最近になって、その社会的責任投資という考えが、注目を集めるようになった。そして、基準となる規格の必要性が、説かれ出している。その意味で、今は、企業活動についての「対案」を、消費者や投資家に提案するチャンスであろう。

【市民通貨】

近年、地域通貨あるいは市民通貨というものが注目された。そうしたものが求められる理由は、いろいろあるだろうが、その中心意義は、二つに集約できるだろう。

一つ目は、中央銀行=金融資本による(信用創造を含む)通貨発行益の独占を、通貨の自由発行を通して、労働者=消費者に取り戻す。
二つ目は、信用の相互拡大によって、貨幣退蔵癖をなくし、人々の蓄積欲動を起こさないこと(その究極が、無利子貨幣)だ。

さて、いくつかの地域通貨運営の困難をみればわかるように、既存貨幣と切り離された相互信用制度は、二つ目の点を強調していきなり大規模に導入しても、信用(通貨)は生じない。すなわち、失敗する。貨幣の裏づけのない相互信用制度を導入する場合は、スイスの中小商工業者相互扶助組織WIR(http://www.wir.ch/http://www.alles.or.jp/~morino/wir2.htm参照)のように、生産者のネットワークから徐々に、しかも、限定的に広げていくしかないのだ。つまり、上記にあげた効果も、すこしずつしか実現しない。

であるならば、市民通貨とやらは、無理に既存貨幣から切り離されたシステムでなくてよい、ということにならないか。なぜなら、お金のあり方は、徐々にしか変わらないのだから。

といっても、既存貨幣を利用して、どのようにお金のあり方を変えようというのか。そのヒントは、市中銀行が行っている信用創造にあると、ぼくは考える。市中銀行は、与信と受信の両方を行うことによって、実際に保有する通貨の数倍もの通貨供給を行って、多くの利子をその銀行の収益として回収している。要は、それをわれわれの手に取り戻せばよいのだ。

その足がかりは、実は、既に身近なところに存在しているのかもしれない。地域企業が組合員となる信用組合・信用金庫、労働組合・生協が組合員となる労働金庫である(「協同組織金融機関」)。そこでは、信用創造による利益は、建前上、構成する組合員への貸付金利を低くすることに充てられる。究極的には、スウェーデンのJord Arbete Kapital 無利子銀行のような形にすることもできるのだ。

しかし、この地域通貨ブームにおいて、それら金庫の役割は、重視されてこなかった。もちろん、労金などは、労組ダラ幹どもの天下り先となっており、それを無視して活用すべきではない。また、いずれの協同組織金融機関でも、(株主総会に当たる)総代会の理事監督機能は低下しており、その結果理事の不正は続いていて、手放しで受け入れることはできない。さらに、そもそも、金庫自らが、協同組織金融機関としての自らの機能を再確認すべきだったともいえる。

だが、それらを口実に、「市民通貨」運動者が、これら金融機関の存在を無視することは、怠惰であろう。

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